小時候的事我幾乎都忘了,但小熊我卻始終忘不掉。第一次遇見牠的場景歷歷在目,那是個陰天,姑姑帶了一隻小狗來我家,那小狗很害怕蜷縮在箱子的角落。牠的臉毛茸茸的像獅子一樣,但靠近仔細看發現比較像熊寶寶,所以我幫牠取名小熊。也決定收養牠。

小熊的習性跟一般的狗不太一樣,不但跟貓感情很好,還會捕魚跟抓老鼠,第一次看到小熊的人一定都會感到驚訝。但牠還是有狗的習性,看到陌生人會叫,會啃骨頭,會到處亂跑亂跳。小時候我住在苗栗的鄉村,村裡有大片稻田也沒什麼車,所以很適合遛狗。小熊一開始會怕生,但不到三天就適應了新環境,開始每天探險不同地方。到了晚飯時間,只要我一吹口哨牠就會全速衝回家,我都會擔心牠會不會因此跌倒或撞牆受傷。

小熊如果太晚回家會自己開門進屋,想去散步時也會自己敲家裡的門。如果門上鎖了也難不倒牠,牠只要衝刺、跳躍、就能從院子的圍牆跳進來,很厲害吧,如果在現在應該可以上電視成為狗明星吧。

小時候我很內向不太說話,所以在班上沒什麼朋友,小熊就是我唯一的朋友。即便我跟班上同學格格不入,但只要有小熊在,她就能聽我訴苦,我也不再感到寂寞。每次放學我都會直接回家帶牠去散步。於我,小熊是撫慰我內心獨一無二的存在。

上國中後因為升學壓力我漸漸討厭上學,在學校也只是終日埋首在書堆中,與同學都沒有往來,此時我的生活幾乎都是負能量。但只要看到小熊,我的壓力跟負面思考就會煙消雲散。唸書唸累了,儘管沒時間帶牠去散步,還是會看著小熊在庭院追鳥或是在田裡跟蝴蝶玩,牠玩耍的樣子真的很可愛。

這樣的生活持續了一段時間。不知不覺來到國三,我順利考上師大附中,在我整理行囊準備前往台北的前夕,小熊似乎出狀況了,不吃飯也不喝水,但帶牠去散步時牠又恢復精神開始吃東西,但這似乎是迴光返照,隔天小熊就不能走路了。步履闌珊地走幾步路就跌倒,牠到底怎麼了?牠兩眼無神望著遠方,只剩下微弱的喘息聲。我嚇的趕緊叫奶奶找獸醫,但小熊等不到獸醫來,在我面前闔眼嚥下最後一口氣。

小熊的死讓我很傷心,也顧不得去台北,接下來數日我腦中只剩小熊,想到茶不思飯不想,晚上也輾轉難眠。小熊死前那刻究竟在想什麼呢?牠的視線又代表什麼呢?我好後悔沒有多跟牠一起玩,多逗牠開心。

一周後某個晚上我夢見小熊,牠依舊用可愛的表情看著我,然後汪汪兩聲就往遠處跑,就在牠快要消失在遠方的霧中時,牠突然轉頭對著我又叫了幾聲,接著牠就完全從霧中消失。夢境非常真實,我想這是小熊在跟我做最後的道別,所以我感覺心情有比較平復些。我跟家人決定把小熊埋葬在一個很漂亮的地方,那裡有鬱鬱蔥蔥的森林、漂亮的河流,也有五顏六色的花朵。喜歡蝴蝶的小熊應該可以在此安息吧。我用磚頭做了小熊的墳墓,雙手合十哭著說「小熊謝謝」之後,就頭也不回地離開。多年後我曾試著尋找小熊的墓地,但可能是深山所以我一直沒有找到。

子供時代の事はほとんど忘れたけど、熊ちゃんの事だけはいつだって鮮明に覚えている。熊ちゃんに出会った日の光景は今でもありありと目に浮かぶ。ある曇りの日に親戚のおばさんが我が家に子犬を連れてきた。彼は怯えていて箱の隅で縮こまっていた。鳴き声から犬だとすぐ判断できたが、犬にしてはちょっと変わった顔をしていた。顔がふさふさとした毛で覆われていたので、真っ先に思いついたのはライオンだった。しかし近づいてみると、熊の子に似ていたので、「熊ちゃん」という名前をつけてあげた。家族と相談して熊ちゃんを引き取って飼うことにした。

犬は犬でも、熊ちゃんの習性は普通の犬とは違っていた。猫と仲良くしている上に、川の魚も捕れれば、ねずみも捕まえられる。はじめて見た人はたぶん驚くだろうね。それでも、犬であることには変わりはない。知らない人が来たら吠えるし、骨も食べられる。とくに彼のダッシュには目を見張るものがある。昔住んでいたところは田んぼだらけであまり車が通らないので、動物の放し飼いにはもってこいの場所だった。熊ちゃんは最初は人見知りする性格だったが、3日も経たないうちにすっかり新しい環境に慣れて、毎日違うところを探検しにいくようになった。そして晩御飯の時間になると、口笛一つで全力疾走して帰ってくる。あまりにも速いスピードなので、もし何かにぶつかったら、大怪我をするんじゃないかといつも心配していた。

熊ちゃんは夜遊びで帰りが遅くなったら、自分でドアのノブを回して家に帰れるし、散歩につれて行ってほしいときは、家のドアをノックすることもできる。鍵がかかっていても困る必要なんてない。「極めつけ」を使えば大丈夫だ。ダッシュしてジャンプ、見事に着地!そう!家の塀を飛び越えられるのだ。すごいだろう?今だったらテレビに出て人気者になること請け合いだ。

そのときの私は内向的で口数が少ないせいでなかなか友達ができず、熊ちゃんが私のすべてだった。熊ちゃんがいてくれたおかげで、あまりクラスの皆に溶け込めなかった私も、少なくとも悩み事を聞いてくれる相手がいて、そんなに寂しく感じなかった。私は学校が終わったら道草を食わず、いつも真っ先に家に帰ってきて、熊ちゃんを散歩に連れて行ってあげたものだ。言ってみれば、熊ちゃんは私の心を癒やしてくれる唯一無二の存在だったのかもしれない。

中学に上がるにつれて、学校に行くのがだんだん嫌になり、家に閉じこもる時間も次第に増えてきていた。私立学校なのでみんな一流高校に入ろうと、わき目も振らずに死に物狂いで勉強していた。そういう競争の世界にいたせいか、私は前にもまして、人のことを信用できなくなり、クラスメートに声をかける時間も惜しんで、ひたすら自分の勉強に集中していた。そんなときでも、熊ちゃんのあの可愛いしぐさを見たら、プレッシャーやマイナス思考がおのずと吹き飛んでしまった。勉強に疲れて、散歩に連れて行く時間がなくなったけど、熊ちゃんが庭で鳥を追いかけたり、田んぼで蝶々とじゃれたりする可愛いらしい姿を窓越しに見るのが好きだった。

そんな生活がしばらく続いた。私はいつの間にか中三になって、いよいよ高校の入学試験が迫ってきた。試験が終わって台北の師範大学付属高校に合格することができた。荷造りしていよいよ台北に旅立つ日が近づいてきたある日、熊ちゃんの様子が変だった。ご飯も食べなかったし、水も飲まなかった。でも、散歩に連れて行ってあげたら元気が戻ってまた食事を取るようになった。しかし、元気になったのも束の間、その翌日になって熊ちゃんは歩けなくなった。よぼよぼ数歩歩いては転ぶといった具合になって、最後には床に突っ伏してぴくりとも動かなくなった。熊ちゃんはいったいどうしたのだろう?両目が遠くのどこかに焦点をあわせたまま、激しい呼吸音以外に生命の兆しはなかった。大変だぞと思っておばあちゃんに大至急獣医さんを呼んでもらったが、熊ちゃんはそれまで待てなかった。私の目の前で、目を閉じて息を引き取った。

大ショックだった。私は予定通りには台北に行かなかった。何日間にもわたって熊ちゃんのことを思うあまり、食欲も湧かず、夜も眠れなかった。熊ちゃんは最期に何を思っていたのだろう?あの目はいったい何を意味したのだろうと私はそればかりを考えていた。もっと遊んであげたらよかったのに、もっとそばにいて喜ばせてあげたらよかったのに。

そして一週間後のある夜、熊ちゃんが私の夢に現れた。相変わらずの可愛い表情で私を見つめていた。そしてワンワンと二声鳴いて遠くの方に走って行った。そして遠くの霧の中に消える直前に、熊ちゃんは振り返ってまた鳴いた。今度こそ跡形もなく消えてしまった。いかにもリアルな夢から目が覚めた私はなんだか気持ちが治まった気がした。私は家族と一緒に熊ちゃんをある綺麗なところに埋めることにした。そこではうっそうとした森が見えるし、綺麗な川が流れて、色とりどりの花が咲いている。蝶々が好きな熊ちゃんはきっとそこで安らかに眠れるだろうと思った。私はレンガを使って熊ちゃんに小さなお墓を作ってあげた。そして手を合わせて、「熊ちゃん!ありがとう!」と涙ながらに言ったあと、一度も振り返ることなくその場を去ってしまった。

何度もそこに行こうとしたが、山奥だったせいか、記憶の中のその場所にたどり着くことはできなかった。

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